LA Butterfly

白戸ミフルさん 乳がんステージ4からの生還 治療中も合コン三昧だった私からのアドバイス

乳がんステージ4を克服された白戸ミフルさんに、ステージ4乳がんサバイバーとしてどのように癌を受け入れ、周りと向き合い、現在の発信される立場になられたかを語って頂きました。同じ境遇に向き合う方へのアドバイスも貴重です。

 

乳がんのカミングアウトのきっかけ

「乳がんになってから前向きになりました。」そうはつらつと話すのは乳がんを経験した白戸ミフルさん。
会社員として働く側、乳がんをきっかけに漫画家という幼い頃からの夢を実現させた白戸ミフルさんは、乳がんという病気を患っているという状況には見えなかった。

普段、映画・ドラマや小説などで描写される癌や乳がんに対する見方は、非常に悲観的な偏見を私たちに植え付ける。しかし、世の中の多くの癌患者は、白戸ミフルさんのように、癌でない人となんら変わらない生活を送っている人が多く存在するのだ。

白戸ミフルさんの漫画「乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話」でも、彼女は治療と生活だけでなく恋愛も娯楽も両立させている様子が伺える。
今回インタビューでは、友人・知人に乳がんを告白した時の心境や、告白において白戸ミフルさんが当時、相手に求めた理解とは何だったのかを伺った。

白戸ミフル

白戸ミフル(Mifuru Shirato) プロフィール

会社員・恋愛コラムニスト・漫画家。
20代前半はタレント業、ゲーム・出版・広告とマスコミ系を渡り歩き、現在は化粧品メーカーに勤務。2015年夏に漫画家・ライターデビューし、会社員と2足のわらじで爆進中。
著書に
合コンアンドザシティ』(電子書籍)
乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話』(キノブックス)など。

オフィシャルブログ アラフォー闘病&婚活記
Twitter @takara0722
Instagram @takara0722

普段の生活の中で、癌/乳がん患者の方に会う機会は多いのでしょうか?

偶然といった形で出会う機会は少ないですね。ですが、知らぬ間に自分が思っている以上に癌患者の人と会っているとは思います。というのも、私が乳がんになった時に、何人かの友達に自分が乳がんである事を打ち明けたんです。

その時に驚いたのが、「実は私も・・・」という友人が結構いたんですよね。

以前は私も自分が乳がんである事をカミングアウトするのをためらっていて、気持ちはわかるので、自分が癌や乳がんであることを言えないでいる人って意外と多いと思いますよ。

自分が乳がんである事実を周りに打ち明けることをためらってしまった理由って何でしょうか?

私がカミングアウトする事をためらっていた理由は、乳がんである事を伝えたことによって、心配されたりするのがわかっているので、心配かけたくない・変な気を遣わせたくないって理由でしたね。また、対恋愛の相手や異性とかに乳がんをカミングアウトした時に、若干引かれたりする素振りとかも、正直あったので・・・。主には、その二つですかね。

あとは、相手もカミングアウトされたことによって何を言えばいいかわからない、と言われることが多々あったんですけど、乳がん患者である自分でも、その気持ちすごいわかるんですよね。だからこそ、打ち明けることをどうしてもためらっていた時期がありました。

漫画でも乳がんをカミングアウトされていますが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

やっぱり根治に向かっているっていうことが関係しているのかなぁって今では思いますね。
初期の頃って漫画にも描いているように、乳がんが治るかわからなかった状況で、その時は本当に怖くて不安で、その時付き合ってた彼氏ぐらいにしか言えなかったです。

白戸ミフル-由比ヶ浜

周りに乳がんをカミングアウトをしたあとで、普通の人と異なった扱われ方をされてしまう空気について、どう感じましたか。また、その空気はどういう時に特に感じましたか。

先ほども話したように、私はあまり多くの人に自分が乳がんであることを伝えていなかったんです。自分の根治が見えてきた2017年の8月ぐらいに初めて、普段仕事で寄稿している媒体に顔出しで乳がんについて記事を書きましたね。これが私の大々的なカミングアウトでした。

その頃は自分が乳がんの治療を始めて4年目ぐらいの時で、ほぼ根治が見えていた頃だったのと、小林麻央さんがちょうど乳がんで亡くなった時期でもありました。小林麻央さんが自身の乳がんや闘病生活について色々と発信をしていたので、私にも一乳がん患者として、何かできる事がないかと思って顔出しで記事を書くことにしたんです。

その記事がYahooのトップニュースにずっと掲載されていたので、乳がんであることを伝えていなかった友人達からその記事を見て、たくさん連絡がきましたね。その連絡の内容も、記事では、根治に向かっている内容を書いているにも関わらず「死んじゃうの?」みたいに言わんばかりの、連絡内容だったんです。

その時に感じたのは、「乳がんに対する認知ってこのレベルなんだな」って思いましたね。私も自分が乳がんになる前は、誰かから癌だという話を聞いたら「えっ、死んじゃうの?」ってすぐ思っていたんで、それが普通の反応なんだろうなって思います。だけど実際自分が癌である立場になってみると、致し方のないこととはわかっていても、こんなに温度差があるのかと、思い知りましたね。

あと、カミングアウトをした時に、中には「余命はどのくらいなの?」とか遠慮なく普通に聞かれたりすることもあったんですけど、その時はびっくりしましたね(笑)。

センシティブな話題なので、この質問は乳がん患者との会話では相当KYだなぁと思いましたね。

加えて、びっくりしたのは「癌の人=余命何日」という認識が当たり前であるということでしたね。
というのも余命というのはすぐに決まるものでもないけれど、癌患者でない人だって同じように、明日自分が無事に生きてる保証なんて誰にもないじゃないですか。
強いて言えば「余命」なんて、具体的にわからないだけで、誰にでもありますからね。

カミングアウトした後で嬉しかったのは、その子なりに、癌には何々が良いってみたいなのを調べてくれて、その食べ物をプレゼントしてくれたりとかは、素直に嬉しかったですね。やっぱり友達なので、基本的には気を使いすぎないで欲しいし、態度とかは変えないでほしいんですけど、そういうちょっとした優しさがあると、すごい嬉しかったです。
あと、乳がんになってから、人の優しさっていうのを身に染みて感じるようになりましたね。

カミングアウトする時に何を思ってカミングアウトしているんですか?

すごくベタですけど、カミングアウトした相手に対して身体を大事にして欲しいって言う気持ちが大きいですね(笑)。
私は乳がんになって、いろんな人に迷惑をかけてきたので、健康でいることってそれだけで、周りの人たちに対する愛情なのかなって思います。

白戸ミフル-由比ヶ浜2

あと、やっぱり私自身乳がんになってから、今までできなかったこと、やりたかったけどやってこなかったこととかにチャレンジしています。漫画家になりたいっていう子供の頃からの夢を叶えたりもしました。乳がんになってから描き始めて、最終的には漫画家としてデビューもできたんです。
癌患者だからといってできないことはないし、夢を諦める必要もないと思うんです。

乳がんと診断されて治療している間でも、ウィッグを被って海外旅行にも行きましたし、合コンにだって散々行って、お酒も飲んで・・・めちゃめちゃ破天荒な生活は、多少自分の身体に気を遣うようになったとはいえ、そんなに劇的に変わりはしなかったです。

癌患者だからって、乳がんと診断される前の私と何一つ変わらないし、むしろ乳がんになってからもっと前向きになりました。
もともとアクティブな性格もあるんですが、ある時点から前よりももっとアクティブになったと思います(笑)。

ステージ4からの気持ちの切り替え。

乳がん、自分自身と向き合うと同時に、「死」と向き合った白戸ミフルさん。

ネガティブな気持ちに陥る場面で、それをどう受け止めていったのか。

また、乳がんになってからミフルさんの人付き合いに変化はあったのか、また癌患者同士で話す内容について、お話を伺いました。

アクティブになった”ある時点”とはなんだったんですか?

自分が乳がんと診断されて、人生に終わりがあるということを初めて実感したというか、本気で自分の人生の終わりの「死」というものについて向き合った時です。

当然、「死」を全く知らないというわけではないですが、乳がんと診断される前は、生活送っていく中で自分が死ぬなんて事を考えたことがなかったんです。
乳がんと診断され、しばらくして落ち着いて自分の「死」というものと向き合うと、一日一日を大事に、大切に生きなきゃなって思うようになりましたね。

みふるさん自身が元々ポジティブな性格だから、前向きに考えられたんじゃないんですか。

私も落ち込む時はひたすら落ち込みますよ。
アップダウンが激しいというか、朝から晩までずーっと不安で泣いてたりする日とかもありました。
乳がんと診断された当初とかは、精神不安定になっていた時期はありました。

「癌」と診断された時に生まれた不安やネガティブな気持ちに対して「向き合う」のと「乗り越える」のどちらでしたか。

乳がんと向き合った、かな。
自分で意識していたのは、我慢をしないというか、ストレスフリーでいるということでしたね。
泣きたいときは思い切り泣く、とか、笑うときは思いっきり笑う、とか、そういう人間らしい事を楽しむといったような、自分の気持ちに対して正直であるということを大事にしていましたね。

とにかく、よく遊んで、たくさん恋して、いっぱい泣いて、いっぱい怒って、そういう人として当たり前の感情を楽しんだというか・・・。

実は乳がんと診断されるまでは、私自身、周りの人の意見やに流されたりすることが多かったんです。
その時は、やりたい事もそこまで真剣に考える時間を取らなかったからか、なんだかよくわからないままでしたね。

ただただ合コンして、素敵な人に出会って、その素敵な人と結婚して、結婚したら、きっと自分の時間ができるだろうから、その後で、時間ができた時に、やりたいことできたらいいなと思っていたんです。

だけど、乳がんと診断されてから「やりたいことをすぐやらないと死ぬかもしれない!やばい!」って急に焦ったんですよね(笑)。

でも、今になってよく考えてわかったことがあるんです。
癌という病気になれば、癌でない人より死ぬ確率は確かに上がるかもしれない。
それでも、明日、自分が無事に生きてる保証というのは、誰にも無いことなんです。

私に限ったことではなくて、誰にでも言えることなんです。

そんな事も考えて、乳がんというものと向き合って、今の自分の時間を大事にしよう、大切にできるよう気をつけようって思ったんです。

医者の一言で患者である・ないのボーダーラインになるわけですよね。

昔から健康診断では、どの項目でもずっとオールAの人だったんです。
病院の検査で引っかかったこともなかったですし、いきなり「乳がんです。ステージ4です。」とか言われても、にわかに信じられなかったですね。

癌ってやっぱり特殊な病気じゃないですか。
癌は免疫力が下がってしまった人、免疫力が低い人がなるって言われてはいるものの、原因も確実には解明されていない。

先ほども述べたように、私は健康診断の結果では健康だったんですけど、普段の生活で、お酒も人並み以上に飲むし、タバコも吸っていたし、そういうのが過剰だったかなってくらい不健康な生活を送っていたわけです。

健康診断の前の日ですら、本当は控えるべきお酒を飲んで診察に行ったりもしていたんで、今いろいろと思い返すと、乳がんの原因に直結ではなくても、自分の生活が不健康なものだったと思い当たる節はいっぱいありますね。

不健康な生活を送ってて、健康だと思っていたけど、実は体は悲鳴をあげていたんだと思います。

そんな生活を送っている中、どこかのタイミングで、自分の免疫力が下がった時に乳がんという病気が発症してしまったんだと思います。
こういった考え方は、後付けでいくらでもできますけど、初めて乳がんと診断された時には、原因を自分の中で「あれか?あれか?あれか?」って羅列しながらも、全力で乳がんであるという事実に対して抵抗はしていましたね。

また、自分と同じような生活をしていた人間は周りにいっぱいいましたし、なんで私だけ、みたいにも思っていました。

診断されて、原因を詮索したり、落ち込んだりして、一喜一憂ありながらも前向きに考えて行ったんですか?

そうですね。先ほども言ったように原因なんて、いくらでも後付けで羅列できるんですよね。
そんな中で自分が現時点で把握できる事実として「死ぬということが自分にも起きる」ということを身をもって知ったのが、自分のこれからの人生と向き合うきっかけとして、一番大きかったんだと思います。

乳がんになってからみふるさんが関わるコミュニティに変化はありましたか。

所属するコミュニティ自体は変わっていないです。もともと、私の人付き合いが広く浅くだったんですけど、それが深く狭くという感じに変わりましたね。

今までの話の繰り返しにはなってしまうんですけど、やっぱり自分が死んでしまうっていうことを考えると、自分が持っている時間は、本当に大事な人や一緒にいて楽しいと思える人と過ごすために使いたいし、それが自分自身にとって良い、というような考え方になりました。

また、乳がんになる以前は、癌患者の友達はいなかったので、お互いの病気の話みたいなものはしませんでした。
でも、私が乳がんになった後で、友人で乳がんになった人はいましたね。
その友人は、脇からリンパへの転移でステージ2か3だったので、抗がん剤とかはやらず、すでに子供が二人いる人だったので、なんの迷いもなく乳房を全摘して、治療終了したって聞きましたね。
癌といっても治療や病状は本当に人によって全然違うので、他の臓器に転移していなければ、あっさり治療が終了する人とかもいるんです。

癌患者の友人とかだと、治療方法的な話が中心になるんですか。

そうですね。
治療方法のあれはやったかとか、この方法はやったかとか、みたいな話は出ましたね。後は副作用についてとかについてもよく話しましたね。

英語版はこちらへ

癌患者さん同士だと、そういう内容について話たいと思うんですかね。

やっぱり、ほかの人はどうなんだろうというのは気になりますね。治療をしている時などは、一番気になるのは、ほかの人の治療方法ですけどね。

乳がんであることが分かった当時は、本当に藁にもすがる思いだったので、効くっていわれているものは片っ端から全部試していったんです。
お薬とかも何十種類も飲んだりしてましたから、やっぱそういう情報交換はしたいって思いましたね。

セカンドオピニオンと日常生活

セカンドオピニオンを考えましたか。セカンドオピニオンを聞きに行こうと考えたきっかけはなんですか。

結構母親が、母親ってそういうもんだと思うんですけど、もう私以上にすごい色々調べて、自分の時間が無くなるぐらい色々やってくれたんですけど、でまあ、そのセカンドオピニオンも母親の学生時代の同級生がクリニック、乳腺外来専門のクリニックの医院長で、そこに行きましたね。
ただ、でも色々診断書とかそう言うMRIの写真とか持って言ったんですけど、まあ特に最初に行った病院の主治医と違った意見はなかったんですけど、なかったので、どっかにそこに移ったりとかはしなかったんですけど、その時その人からは、まあこれぐらいの転移、私骨に転移していたんですけど、まあ臓器、骨も骨で骨の奥に侵入していたりなんかすると、厄介らしんですけど、大丈夫ですよ、治りますよっていうようなこと言われて、安心したのは覚えています。

患者さんってそもそもネガティブに考える方が多いんですか?

実は私の周りには、あんまりネガティブな人はいないという以前に、がんである事を打ち明けてくれた友達はいても、私みたいにステージが進んでるって人はいなかったんです。割とみんな初期の方が多かったんで、正直、ネガティブな雰囲気はあまり感じなかったですね。
でも今回漫画を出したことによって、患者さんや元患者だったり、闘病中の方からメッセージもらったりすることがあったんですけど、やっぱり私みたいにここまで前向きで、破天荒なのは珍しいみたいですね(笑)。

実際、先生に自分で描いた漫画をプレゼントしたんですけど、私の自由に生活していることをそのまま赤裸々に描いている内容をみて、あまりの破天荒さにちょっと引いてましたね。最初にもらった感想が「こんなに遊んでたんですか?!こんなに遊んでたなんて聞いてないですよ!汗」って(笑)。

ネガティブに考えるっていうわけじゃないですけど、がんと診断されて、生活していく中でいろいろと食事や活動とかを治療の関係あるなしに自制する人とかもいたりして、むしろそういう人の方が大多数なんじゃないかなと思います。

ちなみに、メッセージってどんなメッセージをもらうんですか。

正直に言いますと、賛否両論ありましたね。

ポジティブなメッセージだと、「がん患者ができる事の枠のハードルを一気に上げてくれた」とか、「ハードルを上げてくれてありがたい」とかですね。
飲酒は本来ならばしてはいけないことなんですけど、がん患者が合コン行ったり、海外旅行に行ったりするイメージがあまりない中で、そういう自分の実際にしてきた行動や恋愛を赤裸々に書いた事で、「がん患者が普通の人と変わらず生活できる事を気付かせてくれたことに対してありがたい」という言葉をいただきますね。もちろん、逆にネガティブな意見も当然あって、「絵が大してうまいわけではないのに、『ステージ4の乳がん』っていうパワーワードだけで出てきた漫画家な気がする」とかです。それは確かにその方のおっしゃる通りなんです。最初の頃はそういうネガティブな意見を見かける度に、ズキーッとか傷ついて凹んでいたりしたんですけど、今は全然気にしていませんね。
一回だけの人生ですから、これからも今回の漫画家デビューのようにチャンスだと思って、これからもいろんな事にチャレンジしていきたいと思います。

普段の生活について聞いていいですか。会社にいきながら病院に通っていたと伺ったんですけど、日常生活を送る上で時間の使い方に変化はありましたか。

私のがんが最初進行性のものだったので、とにかく一刻も早く抗がん剤治療しましょう、もし抗がん剤をやらないのであれば、乳房の全摘を行いますって言われてたんです。
乳房の全摘は避けたいと思ったので、その後すぐに抗がん剤を始めたんです。半年ぐらいで抗がん剤の治療を行って、腫瘍が小さくなったので、乳房を全摘しないで温存できることになったので、一部摘出の手術を行いました。そのあとは放射線治療を始めましたね。そして、放射線治療のあとはホルモン治療を始めて、今でも治療を続けています。

一番キツかったのは、抗がん剤治療の時でしたね。副作用も強かった。抗がん剤治療は3週間に一回病院に行って治療を行っていたんですけど、その当時広告代理店で働いていました。治療開始後、会社にお願いして、仕事内容をフロントからバックオフィスに移してもらって、仕事の負担を軽くしてもらいました。

抗がん剤の副作用は、抗がん剤を打った直後が結構重くて、病院に行った後の三日間ぐらいは会社休んだりとかしていましたね。1ヶ月間で1週間ぐらいは休んでいたと思います。あとは普通に出社していましたよ。

副作用などで体調が優れない日はあれども、普通に働くことができていたんですね。

そうですね。普通に通勤もして、働いて、仕事後に合コンへ行ってたりしましたね(笑)。

そしたら、会社はそういった副作用などが出た時に休息を取らせられる環境であれば問題ないんですね。他に考慮して欲しい点とかはありましたか。

今もう転職しちゃったんですけど、大きな会社だったのでそういう柔軟な移動の対応やお休みを取らせるための体制などは整っていたんだと思います。休みもちゃんと取れるし、お金とかも出してくれるし、それ以上もっとこうして欲しかったっていうのは、思いつかないかなぁ。当時は、働くことに関して不自由は感じていなかったです。

通院でのがんの治療の場合、会社が設けている制度で十分に日常生活を送ることができるんですね。

そうなんです。逆にいうと良い会社だったのかもしれない。ラッキー。給料も人並みだったと思います。働ける日数が減るのと、部署の異動で給与はもちろん下がりはしました。治療費用などのお金が必要なのに、稼げないっていうのはちょっと辛かったです。実は治療費用は、ほとんど親に負担してもらっていました。

しかも、がんの治療保険に入っていなかったので、それは後悔しましたね。というのも、もともとがん家系でもないので、自分はがんと無縁だと思っていたんです。なぜ突然私だけがんになってしまったのか、本当に謎です(笑)。

あと、がんになる前と今じゃ、今の方が健康な生活を送れていますね(笑)。がんのおかげで健康になりました。運動もするようになりましたしね。サップ(スタンドアップパドルボード)っていうマリンスポーツをやってるんですよ。
あとは、今年マラソンに出るんです。まだ走ったことはなくて不安なんですけど、やりたいことを持つって大事ですね。ストレスがないって言うと、楽をしてるみたいに思われることもあるんですけど、私はストレスフリーっていうのは人生が充実していることだと思います。気持ちが満たされているというか。充実した生活を送ること、生きる活力が満ちているみたいな感じになっていると思います。

先輩サバイバーからのアドバイス

先輩患者さんとして後輩患者さんにアドバイスとかありますか。

アドバイスかぁ。これも繰り返しにはなりますが、いつかやろう、そのうちやろうは、すぐやろうって考えた方がいい。ってことですかね。
がん患者の人だけでなくがんじゃない人も、絶望的になって、後ろ向きに考えてしまっている人もいるじゃないですか。そういう気持ちはがん患者とって、良くないことじゃないかなぁって思います。ネガティブな気持ちを無くすことは難しいと思います。それでもネガティブなことばかり考えていたら、それがストレスになって、免疫力を下げてしまう、みたいな、負のループにハマっちゃうと思うんです。

そういうネガティブな時期に陥ってしまっている時に、周りにはどういう風に接して欲しいですか。

これはもちろん人にもよるとは思いますが、私は菩薩のような対応をして欲しいって思っちゃいますね。もちろん甘やかすだけではダメだと思いますけど(笑)。
私はがんがわかった最初の頃は、親とかその当時の彼氏に「私かわいそうなんだから、言うこと聞いてよ」って感じで、ものすごい当たったりしちゃったんですよね。当然、彼氏との関係は良いものではなくなってしまって、彼氏から振られて、別れてしまいました。でもそういう風に人が離れて行ったことを経験したことによって、私自身も、がん患者だからってわがまま言っちゃダメなんだって気付きましたね。だって、がん患者だから体調などの配慮は必要かもしれないけれど、だからと言ってわがまま押し通されたらそりゃムカつくよね。みたいな(笑)。そういうのにも自分で気付いたことによって、人間としてちょっと成長できたのかなって、今では思いますね(笑)。
その時期はいろいろと良くないことが同時に起きて、とことん落ち込んでいましたね。

きっと誰でもぶつかるシチュエーションかもしれないですね。そこから立ち直って行った経緯についてぜひ聞かせてください。

さっきも少し出たんですけど、立ち直るきっかけは、「本気で自分の人生の終わりの「死」というものについて向き合った時点」ですかね。自分が死ぬってことを意識してから、自分の人生ってなんだったんだろうって思うようになったんです。
もしこのまま死んだら、何年後かには、人の記憶とかからも消えちゃうんだろうなぁって。実際、身内とかだと別で忘れるということはあまりないですけど、そこまで親密ではなかった友達とか芸能人とかって亡くなって、時間が経つと忘れてしまうじゃないですか。
そういうのがすごく寂しいと感じたんです。あと、印象的な言葉で「人は二度死ぬ」っていう言葉があるじゃないですか。誰から聞いたのかは忘れましたけど、「命が無くなる時と人の記憶から消える時、二度死ぬ。」という言葉を思い出して、自分が人の記憶からなくなっちゃうのはさみしいから何か遺したいという気持ちと、私のやりたいことが漫画家になって漫画を描くということだったので、夢を叶えるまでは絶対に死ねない、っていうモチベーションが生まれましたね。

そういう「どうしてもやりたいことがある」って人はその気持ちだけで、免疫力が上がるんじゃないかなって今では思いますね。

亡くなっちゃった方の話を聞くこともあるんですけど、例えば、私の知り合いの母親ががんで亡くなった話を聞いた時に「息子もいて、息子も結婚して、孫の顔も見れたから、もう思い残すことはない」みたいに本人が生きてやりたいことがないと言い切ってしまってるんですよね。その母親は、がんの治療を受けるという選択肢を取ることもできたんですけど、抗がん剤の治療は辛い治療なのでやりたくないといって、治療をしない選択をしていましたね。私はこれも一つの選択肢だと思いますが、私の場合は、今、満足だななんて思っていないし、やりたいこと山ほどあるんで、そういう風には考えられなかったです。
このケースを振り返ってみると、自分の気持ち一つで、免疫力が上がるじゃないですけど、病気と戦える力が出てくるんじゃないかなぁとも思いますね。

(がんの診断を受けたばかりで動揺している方への、10のアドバイスはこちら)

必ずしも誰もがやりたいことを持っているわけではないじゃないですか。それを見つけるって難しいことですね。

そうですね。私もがんになる前は特にやりたいことや目的って忘れていたんですよね。漠然とあれやりたい、これやりたい、みたいなことはあったんですけど、大抵の場合、まぁ、そのうち、いつかやればいっかみたいにすぐに取り組んではいなかったことがありましたね(笑)。いつでも取りかかれることって後回しにしがちなんですけど、いつでもできることって思ってたことが、自分の人生が終わるかもしれないってことで今しかできないことになったんです。

でもそれって、なんども繰り返しになりますけど、がん患者に限ったことではないですよね。

だから、やりたいことをやるっていうのは非常に大事で、そういった自分の何かしたいって思う気持ちをちゃんと自分自身が聞いてあげるっていうのは、がん患者であろうがなかろうが常に行うべきことだと思います。
そしたら、それで前向きになって、病気治るかもしれないじゃないですか。やっぱ死にたくないって思っている人じゃないと、生き残れないと思うんです。私だってそうです。死んでもいいって思っている人はいないと思うんですけど、それでも前向きになることは大事だとこれからも声を出してたくさんの人に訴えていきたいです。

みふるさん、ありがとうございました。

*このインタビューは2019年に実施されました。

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