花咲乳がん闘病記:ミミポポさんが見つけた自分らしさと希望の物語」
LA Butterflyとは:
LA Butterflyは、ロサンゼルス発信のがんサバイバーたちが『自分らしさ』を見つけ、力を得たストーリーを届けるプラットフォーム。さなぎから蝶へと羽ばたくイメージを込め、彼らの言葉、学び、おすすめアイテムをまとめ、希望と勇気を共有します。
ミミポポさん闘病まとめ:
乳がん闘病記を綴るミミポポさんは、26歳で乳がんを告知され、34歳で余命約2か月の宣告を受けた女性です。彼女の人生は、過酷な病状と向き合いながらも、自分らしさや希望を見出していく過程そのもの。ブログ「34歳で余命宣告された私」(リンク)やYouTubeで発信を続ける彼女は、末期乳がんの現実を伝えつつ、前向きな姿勢で多くの人に勇気を与えています。闘病の中で見つけた夢や生きがい、そして支えてくれる人々との絆が、彼女の物語を特別なものにしています。
花咲乳がん闘病記で見つけた自分らしさと夢:
ミミポポさんの乳がん闘病記は、単なる病気との戦いの記録ではありません。それは、自分自身と向き合い、自分らしさや夢を発見していく旅でもあります。彼女のブログ(リンク)で明かされているように、26歳で乳がんが発覚した当時、彼女はアパレル企業で忙しく働き、健康を顧みる余裕もない生活を送っていました。しかし、告知を受けた瞬間から、人生が一変。恐怖と向き合う中で、彼女は「自分がどう生きたいのか」を模索し始めます。
当初、医療不信から標準治療を避け、東洋医学や独自の方法で治療を試みたミミポポさん。一時は腫瘍が小さくなったものの、30歳を過ぎて「花咲乳がん」と呼ばれる状態に進行し、胸から腫瘍が飛び出す壮絶な状況に直面します。34歳で余命宣告を受けた時、彼女は寝たきりで骨もボロボロ。それでも「死ぬ気がしない」と感じた彼女は、訪問看護師の励ましを受け、発信を始めます。
ブログ「34歳で余命宣告された私」(リンク)やYouTubeチャンネル「mimipopo CH」(リンク)を通じて、彼女は自分の経験を共有。その過程で「誰かの役に立つことが生きがい」と気づきます。闘病が彼女に与えたのは、物質的な成功や忙しさではなく、自分の心に素直に生きることの大切さ。たとえば、抗がん剤治療を再開しつつも、無理なく自分のペースを大切にする姿勢は、彼女らしい生き方の象徴です。
夢についても、ミミポポさんは明確な変化を遂げました。かつては「病気が治ったら何かを始めよう」と先延ばしにしていた彼女ですが、余命宣告後は「今できることをする」決意にシフト。2020年にブログを公式化(リンク)し、YouTubeでの発信をスタートさせたのはその表れです。彼女の夢は、闘病を通じて得た気づきを伝え、多くの人に希望を届けること。沖縄への弾丸旅行を楽しんだエピソードや、食事療法にこだわったセレクトショップ「SiSi」を立ち上げた行動力は、夢を形にする彼女の強さを示しています。
自分らしさとは何か。ミミポポさんにとって、それは「ありのままの自分を受け入れ、感謝と共に生きる」こと。乳がん闘病記を通じて、彼女は自分を縛っていた価値観を手放し、本当に大切なものに気づきました。それは、家族や友人との時間、そして自分の心が喜ぶ小さな瞬間です。
『生き方―人間として一番大切なこと』:
ミミポポさんが闘病で気づいた「自分らしさ」や「感謝の心」は、この本のテーマと重なります。稲盛和夫氏は、人生の困難を乗り越える鍵として「利他の心」を説きます。彼女が「誰かの役に立つことが原動力」と語るように、本書は逆境でも前向きに生きるヒントを与えてくれるでしょう。闘病中、心の支えを求める彼女に共鳴する一冊です。
『生き方―人間として一番大切なこと』(稲盛和夫)(Amazon)
前向きで力を与える発言や考え:
- 「若いから進行が早いって言われたけど、私は『若いから回復が早い』って言い換えたんです。」:言葉の力を信じ、ネガティブな状況をポジティブに変換する彼女の姿勢が感じられます。
- 「正常細胞ががん細胞をやっつけてくれてるから、今も生きてるんです。」:病気の脅威だけでなく、体が持つ力に目を向ける視点が、希望を与えます。
- 「誰かのためになるって、すごい原動力になるんです。」:発信を通じて気づいた生きがいは、彼女自身を支えると同時に読者にも響きます。
- 「生きてりゃ何とかなるって思うんです。」:シンプルながら力強いこの言葉は、どんな状況でも前を向く彼女の信念を表しています。
- 「マイナスな言葉の代わりに前向きな言葉を口にするんです。」:心の持ちようが現実を変えると信じる彼女の考えは、実践的で励みになります。
ミミポポさんの闘病記録:
- 26歳:乳がん発覚
- 右胸にパチンコ玉ほどのしこりを発見し病院へ。
- 診断はステージ0の乳がん。医師からは「若いから進行が早い」と手術と抗がん剤を勧められる。
- 医療不信から標準治療を拒否し、東洋医学や色彩療法を選択。
- 28歳頃:一時的な改善
- 免疫力を高める生活で、1.5cmの腫瘍が6.8mmに縮小。
- 30歳頃:花咲乳がんへ進行
- 腫瘍が皮膚を突き破り、胸から飛び出す状態に。浸出液や激痛を伴う。
- 31~33歳で腫瘍は握りこぶし大に成長。大量出血で救急搬送され、輸血を受けることも。
- 34歳:余命宣告
- 2019年9月末、全身に転移(骨、肺、肝臓など)。左大腿骨の3分の1が消失し、寝たきりに。
- 医師から「約2か月」の余命宣告。花咲乳がんによる胸水や貧血も深刻化。
- 34歳以降:治療再開と回復
- 訪問看護師の支援で信頼できる専門医と出会い、治療を決意。
- 抗がん剤治療を開始。2023年には10クール目に突入。
- 2024年時点で介助なしで旅行に行けるほど回復。
参考資料: