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がん闘病記

「縦隔原発胚細胞性腫 闘病記 | 坪田悠さんの北海道と群馬での経験と夢」LA Butterflyまとめ

「縦隔原発胚細胞性腫 闘病記。坪田悠さんが北海道と群馬で経験した診断・治療から夢までを紹介。AYA世代のリアルな闘病と前向きなメッセージをお届けします。」

LA Butterflyとは:

LA Butterflyは、ロサンゼルス発信のがんサバイバーたちが『自分らしさ』を見つけ、力を得たストーリーを届けるプラットフォーム。さなぎから蝶へと羽ばたくイメージを込め、彼らの言葉、学び、おすすめアイテムをまとめ、希望と勇気を共有します。

坪田悠さん闘病まとめ:

縦隔原発胚細胞性腫 闘病記として、北海道出身の坪田悠さんのリアルな経験は、AYA世代のがん患者が直面する困難と希望を象徴しています。2011年に大学卒業後、群馬県で新社会人として働き始めた矢先に胸の激痛から腫瘍が発覚。縦隔原発胚細胞性腫と診断され、手術と抗がん剤治療を乗り越え、現在は経過観察中です。彼のユニークな視点—北海道と群馬の地域差や、患者会「アヤキタ」への思い—を通じて、地方都市での闘病や夢への情熱が伝わります。この記事では、彼の診断から治療、夢、そして前向きなメッセージを詳しく掘り下げます。

縦隔原発胚細胞性腫 闘病記で見つけた自分らしさと夢:

坪田悠さんの縦隔原発胚細胞性腫 闘病記は、単なる病との闘いを超え、自分らしさや夢を見つける旅でもあります。北海道出身で大学卒業後、群馬県で新社会人生活を始めた2011年、突然の胸の痛みが人生を一変させました。診断された縦隔原発胚細胞性腫は、20代という若さでの大きな試練でしたが、彼はその中で自己を見つめ直し、将来への希望を見出しました。

自分らしさの発見

闘病中、坪田さんは「自分に何ができるのか」を模索しました。群馬での生活は慣れない暑さと新社会人のストレスで始まり、胸の違和感を「ストレスだろう」と見過ごしていた時期もありました。しかし、救急外来で腫瘍が発覚し、北海道に戻って治療を受ける中で、自分を支えてくれる家族や同期の存在に気づきます。この経験が「甘えること」の大切さを教えてくれました。特に、入院中の泌尿器科で高齢者の中で唯一の若者として看護師に優しくされる経験は、彼にとって「自分らしさ」を感じる瞬間だったそうです。

夢への一歩

坪田さんの夢は、縦隔原発胚細胞性腫の闘病を糧に、北海道全域にAYA世代のがん患者会を広めることです。「もし自分ががんになったときに、各都市に小さな患者会があれば」と語る彼は、2011年の発病から10年以上経った今も、その実現に向けて動いています。群馬と北海道を行き来した経験から、地域による医療格差やサポートの違いを実感し、「北海道ならではの課題を解決したい」という強い思いを抱きました。患者会「アヤキタ」の立ち上げに関わったことも、彼の夢への第一歩です。

この闘病記は、縦隔原発胚細胞性腫という希少ながんに立ち向かいながら、自分らしさを見つけ、夢に向かって進む若者の姿を描いています。

前向きで力を与える発言や考え:

  • 「甘える」: 「入院中に優しくしてくれる人がいたら、ちゃんと甘えとけばよかったと思うんです。特にAYA世代は甘えることで潤いが生まれる。」
  • 「続けていれば広がる」: 「患者会を続けてたら、少しずつ人が集まってきて、今では20人以上が交流会に来てくれる。地道にやれば広がると思うんです。」
  • 「怖さは抱えながら生きる」: 「再発の可能性は低いと言われたけど、またなるんじゃないかという怖さはある。それでも生きていくしかないと思うんです。」

(がんノート)

坪田悠さんの闘病記録:

  • 2011年5月: 北海道の大学を卒業後、群馬県で新社会人として働き始める。ある日、体を伸ばして胸を開く動作をした際に軽い痛みを感じる。群馬の5月は気温が30度を超える日もあり、慣れない環境と新社会人のストレスからくるものと思い、特に気にせず生活を続ける。
  • 2011年7月: 胸に突然の激痛が走り、同時に右腕の第2関節内側にも痛みが広がる。近くのクリニックを受診するが、レントゲンで異常が見つからず「原因不明」と診断される。痛み止めを処方され、一時的に症状を抑えて過ごす。この時点では、縦隔原発胚細胞性腫の可能性は全く疑われていなかった。
  • 2011年8月: 前月と同様の激痛が再発。クリニックで再度診察を受け、頓服の痛み止めを追加で処方される。仕事が忙しく、痛み止めを飲みながら無理やり仕事を続ける日々が続く。身体の異変に不安を感じつつも、20代の若さゆえに「大したことではない」と自分を納得させる。
  • 2011年9月7日: 痛み止めが切れた状態で職場へ出勤。胸の痛みが強まり、顔が青白くなるほど体調が悪化。周囲から心配される中、何とか仕事を終えて帰宅するが、帰路で呼吸困難を伴う激痛に襲われる。社員寮の同期に助けを求め、夜間の救急外来へ。レントゲン撮影で胸部に異常な影が確認され、初めて腫瘍の存在が明らかになる。
  • 2011年9月8日: 翌日、改めて市立病院を受診。専門医から「今すぐ行動が必要」と告げられ、針生検(組織を針で採取して検査)が実施される。結果は「良性の腫瘍の可能性が高い」との暫定的な診断。しかし、確定的な判断には至らず、手術を検討するなら地元の病院を勧められる。紹介状を書いてもらい、札幌医科大学附属病院へ転院を決定。
  • 2011年9月中旬: 札幌医科大学附属病院で精密検査を受ける。CTやMRIで縦隔に大きな腫瘍が確認され、針生検の結果を基にさらに詳しい病理検査が進められる。この段階で、縦隔原発胚細胞性腫の疑いが強まるが、確定診断には手術後の組織検査が必要と説明される。
  • 2011年10月: 手術を実施。胸を開き、縦隔の腫瘍を摘出する予定だったが、腫瘍が右肺に浸潤していることが判明。右肺の5分の1と心膜の一部も切除する大掛かりな手術となる。術中、呼吸器系の合併症を防ぐため慎重な対応が取られ、約6時間に及ぶ手術を終える。術後の病理検査で、ようやく「縦隔原発胚細胞性腫」と正式に診断される。この時点で、診断書を見て初めてがんと認識したと坪田さんは振り返る。
  • 2011年11月~2012年1月: 術後の経過が良好であることを確認後、再発防止のためBEP療法(ブレオマイシン、エトポシド、シスプラチンによる抗がん剤治療)を開始。通常は3クールが標準だが、念のため4クール実施する方針に。1クールは約3週間で、抗がん剤投与後数日は入院、その後は通院で経過観察。投与初日は比較的元気だったが、3日目以降に強烈な吐き気や倦怠感が襲い、食事の配膳音を聞くだけで嘔吐感に悩まされる。放射線治療は心臓へのリスクから選択されず、化学療法が主軸となった。
  • 2012年2月3日: 4クールのBEP療法を終え、血液検査や画像診断で異常がないことを確認後、退院。医師からは「再発の可能性は低い」と説明されるが、完全な安心は得られず、経過観察に移行。現在に至るまで、定期的に検診を受けながら生活を続けている

縦隔原発胚細胞性腫は、胸部の縦隔(心臓や肺の間)に発生するまれながんです。通常、胚細胞腫瘍は精巣や卵巣に発生しますが、縦隔に原発するケースは全体の1~5%程度とされています。20~30代の男性に多く、坪田さんのように若年層での発症が特徴です。

特徴と症状

  • 発生部位: 縦隔(胸腺付近が多い)。
  • 症状: 胸痛、呼吸困難、咳など。坪田さんのように腕の痛みを伴う場合も。
  • 進行: 悪性の場合、肺や心膜に浸潤するリスクあり。

治療法

  • 手術: 腫瘍摘出が第一選択。坪田さんのように肺の一部切除が必要な場合も。
  • 化学療法: BEP療法(ブレオマイシン、エトポシド、シスプラチン)が標準。
  • 放射線: 心臓への影響を避けるため、若年者では避けられる傾向。

参照情報ソース

  1. 国立がん研究センター
    URL: https://www.ncc.go.jp/jp/index.html
    内容: 胚細胞腫瘍の概要と治療法。
  2. 日本癌治療学会
    URL: https://www.jsco.or.jp/
    内容: 縦隔腫瘍の診断基準。
  3. メディカルノート
    URL: https://medicalnote.jp/diseases/胚細胞腫瘍
    内容: 症状と症例解説。